こちらが講堂です。
中に立体曼荼羅(りったいまんだら)と呼ばれる仏像があります。
写真撮影は、いつものように禁止になっていますので、代わりにYoutubeに動画投稿されていましたので、載せておきます。
この中に、私が見たい帝釈天と、大威徳明王(だいいとくみょうおう)の像があります。
大威徳明王は、阿弥陀如来(あみだにょらい)や、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の化身だと言われ、梵名のヤマーンタカとは「死神ヤマをも殺す者」の意味があります。
死神ヤマとは、インドではスイギュウに乗った地獄の王様で、仏教に取り入れられると、閻魔大王という名前になります。
大威徳明王は、マヒシャ・サンヴァラ(mahiSasaMvara 「力強きスイギュウの魔神を押し止める者」)とも言い、 このマヒシャとはスイギュウの姿をしたアスラの事だと言われます。
インド神話では、獅子の姿をしたドゥルガーという女神が、マヒシャ(アスラ)を倒したと言われます。
ドゥルガーとは、シヴァの奥さんで、カーリー、パールバティーと共に、三位一体の女神です。
アスラとは、ペルシアの最高神アフラマズダー、つまり阿修羅のことであり、日本神話のスサノオに当たります。
このドゥルガーの神話は、ペルシアとインドの神様が戦って、インドの神様が勝ったということを表したものです。
チベットの伝承では、文殊菩薩が、敵である悪鬼と同じような牛面になり、しかも悪鬼以上の武器をもった姿に変身して戦って、ついに悪鬼を倒したのが大威徳明王だとされます。
おそらく、ペルシアの最高神アスラ(ゾロアスター教)に対抗する為に、ヒンドゥー教で創作されたドゥルガーを、仏教が大威徳明王として取り入れたのだろうと思われます。
日本では脚が多数ある仏尊は他にほとんど無く、大威徳明王の際立った特徴となっていて、まさにアスラの性質を持った暴風雨の神様という迫力があります。
愛染明王の戦闘的になった時の姿でもあります。
ヒンドゥー教の神様で、白い牛ナンディンに乗るシヴァという神様がいます。
シヴァは、不動明王と同じ神様だと言われているので、不動明王から分かれたとされる大威徳明王が、牛に乗っているのも、うなずけます。
インドの神様のシヴァが、ペルシアの神様(阿修羅)を眷属にしたということです。
明王は、大日如来が仏教に帰依しない強情な民衆を力づくでも帰依させる為、恐ろしげな姿形を現して調伏する仏として存在するそうです。
つまり、他宗教に対抗するために考え出された仏様だというわけです。
仏教は、インドで生まれ、インドの影響を受けているのですが、ヒンドゥー教の神々の人気に圧倒されます。
降三世明王(ごうざんぜみょうおう)が、シヴァと、パールバティーを踏みつけているのは、ヒンドゥー教に対抗する仏様というわけです。
軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)は、ガネーシャという象の神様に対応していて、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)は、インドラという雷の神様に対応しています。
天台宗に伝承される密教(台密)では、真言宗に伝承される密教(東密)と違って、金剛夜叉明王だけが、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)に変わっています。
烏枢沙摩明王は、ゾロアスター教のアータルという炎の神様が起源のアグニという神様に対応しているようです。
釈迦の教えが中心の仏教に、こんなにもいろいろな仏様が生れたのは、多神教のヒンドゥー教の影響だと言えます。
密教は、それに加え、古代インドにあったバラモン教の呪術的な要素も取り入れ、マントラ(真言)を重要視しました。
こちらは、パンフレットの写真ですが、東方を守護する梵天(ぼんてん)です。
インドの宇宙の根本原理を司るブラフマーという神様で、世界を創造した神様だそうです。
ガチョウに見えるのは、「ハンサ鳥」と呼ばれる伝説の白い鳥です。
太陽の昇る東に位置することから、朝日を神格化した神様かもしれません。
ブラフマーの妻が、サラスバティー(弁財天)です。
こちらは、金堂です。
薬師三尊像(やくしさんぞんぞう)が祀られています。
こちらも、写真撮影は禁止なので、パンフレットで我慢して下さい。
中央に薬師如来(やくしにょらい)に、左右が日光菩薩と、月光菩薩です。
いつも、この三体が祀られるのは、太陽と月が重なると、救世主(キリスト)が生まれるという意味だろうと思います。
神道では、薬師如来は、神産巣日神(かむむすひのかみ)の子の少名毘古那神(すくなびこなのかみ)ことだと言われ、大国主命(おおくにぬしのみこと)と共に日本を作った最初の神様だとされます。
古事記によると、少名毘古那神が常世の国に一度帰った後、再び光り輝く神様が海から表れたのが大物主命(おおものぬしのみこと)だとされ、おそらく、同じ神様の別名だろうと思われます。
薬師如来(キリスト)の台座には十二神将(十二使徒)が彫られています。
この十二神将が干支(えと)を表します。
こちらは、不二桜(ふじざくら)と呼ばれる高さ13メートル、枝張り10メートルというとても大きなエドヒガン系の種で、色の濃い八重咲きの桜だそうです。
平成18年(2006) が、弘法大師入唐求法の旅より帰朝されて1200年の記念にあたることから、東寺信徒総代から寄贈され、この場所に移植されたそうです。
弘法大師の「不二の教え」から「不二桜」と命名されたようです。
瓢箪池と呼ばれる庭園です。
絵になりますね。
五重塔は、高さは約55メートル、木造の建築物としては日本一の高さを誇ります。
天長3年(826)空海により創建着手されましたが、普請の勧進が進まなかったことや、「稲荷山神木事件」などが起こって、ようやく元慶七年(883)竣工しました。
しかし、その後しばしば火災をうけ、焼失すること四回に及んでいます。
現在の塔は寛永二十一年(1644)徳川家光の寄進によって着工したものです。
東寺が造営され始めた時、淳和天皇(じゅんなてんのう)が病に臥して、その理由を占いに求めたところ、官寺である東寺造営用の木材を調達するのに、稲荷山から神木を伐り出した祟りだとされました。
朝廷は、罪滅ぼしとして、従五位の下の官位を伏見稲荷大社に与え、天慶5年(942)に正一位を、応和3年(963)に京の東南の鎮護神と定めたと言います。
これが、「稲荷山神木事件」と呼ばれるものです。
東寺を造るのに、いろいろと苦労があったようです。
これは、東寺の内部の如来像の配置を示した看板のようです。
心柱を大日如来(だいにちにょらい)に見立て、阿閦如来(あしゅくにょらい)、宝生如来(ほうしょうにょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい)、不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)の四仏を周囲の須弥壇上に配置し、金剛五仏とし、その間に八大大菩薩を安置しています。
四本の柱にも金剛界曼荼羅の諸尊が描かれていて、四方の扉には、護法八方天が、扉の左右の柱には、八大龍王が描かれています。
こちらは、金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)。
こちらは、胎蔵曼荼羅(たいぞうかいまんだら)。
この東寺の曼荼羅に関するYoutubeの動画を、また、載せておきます。
「生れ 生れ 生れ 生れて 生の始めに暗く、
死に 死に 死に 死んで 生の終わりに冥し」
迷いの世界に狂える人は、その狂っていることを知らず、真実を見抜けない生きとし生けるものは、自分が何も見えていない者であることがわからないという意味だそうです。
意味が分らなくても、生と死が強調される音に圧倒される言葉です。
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