公のお話

 

電車に乗れば、周りの目を気にせず、おにぎりを食べたり、パンを食べたり。

 

化粧をする人や、マスクもせずに咳をする人。

 

地べたに座り込んでいる人も見かけたりします。

 

みんな、「公」を無視しています。

 

自分の部屋と公共の場所が、一緒くたになっている感じを受けます。

 

自分の都合で世界が回っているのです。

 

 

「滅私奉公」(めっしほうこう)という言葉があります。

 

第二次世界大戦前の、小学校で教えていた修身(しゅうしん)という授業の、ひとつの科目だそうです。

 

意味は、自分を犠牲にしても国に奉仕するということです。

 

献身の教えです。

 

日本は戦争に負けて、アメリカは日本の教育から、この授業を取り払らいました。

 

上の命令には、絶対、逆らわないという軍国主義を引き起こす可能性があるという理由です。

 

代わりに、「道徳」という授業を入れました。

 

 

今の日本は、「公」のことを考える人間がほとんどいません。

 

政治家でも、官僚でも、みんな、自分の私利私欲で行動しています。

 

 

私の知り合いで、防衛省に勤めておられる息子さんをお持ちの70歳のお母さんから、防衛大学での息子さんの話しを伺いました。

 

ジュースなんかでも立って飲んでいると、「座って飲め」と、怒られるそうです。

 

始末書まで、書かされるそうです。

 

バスなんかでも、他の人が座れるように、「席に座るな」と教えられ、みんな立っているそうです。

 

マナーがいいので、地元の人からは防衛大学の生徒は人気があるそうです。

 

だけど、ちょっと、厳しすぎて、約半分の人が辞めるそうです。

 

そういう教育を受けて、無事、卒業した人達は偉くなっても、威張らないで、人格者になるケースが多いみたいです。

 

その息子さんの上司の方とお会いした時に、「いつも、○○君には助けていただいております」と、深々と、お辞儀をされて恐縮したと言われていました。

 

肩に付ける階級章の星が一つ違うだけで、全然、対応が違うという階級社会なのに、部下に対しても、そんな感じらしいです。

 

話が、反れましたが、日本の近代革命であった明治維新を起こすきっかけになった、吉田松陰(よしだしょういん)という人がいます。

 

彼は、叔父の玉木文之進から、スパルタ教育を受けます。

 

その教育が、「公」の教育です。

 

今の日本の政治家に必要なのも、この「公」の意識だと私は思います。

 

自己の利益を犠牲にしてでも、国の利益を守ろうとする意識です。

 

玉木文之進の教育は、少しでも、「私」を出すと、殴るという徹底したものだったそうです。

 

例えば、国の事を勉強している時に、蝿が飛んできて、それを手で払っただけで、その行為は「私」だと殴られたそうです。

 

そういった特殊な環境で育った吉田松陰という人物の話す言葉が、他人に共感や影響を与え、日本という国を作り上げてきたということです。

 

それから、彼が好んで学んだ学問があります。

 

孟子(もうし)です。

 

孟子は孔子(こうし)の「仁」を社会に当てはめて、民衆の人望のない君主は天命によって滅ばされるという易姓革命(えきせいかくめい)の論理を説いた思想家です。

 

主権が天子になく人民にあるという民主主義の先駆けとも言える思想です。

 

事を成就させるには、天の時(時期)、地の利(場所)、人の和(協力者)の三つの事柄が大切だとされます。

 

天は日月星辰の宇宙、地は山川草木の自然、人は詩書礼楽の社会を表していて、規模を考えると一番偉いのは宇宙となるはずなのですが、孟子は、天の時は地の利に如(し)かず、地の利は人の和に如かずと、人の和が最重要項目だと説きます。

 

あくまでも、君主より人民の和が大切だという事です。

 

この為、幕府からは孟子は禁書として扱われ、中国でも支配層によって都合の良い韓非子(かんぴし)の方が選ばれました。

 

韓非子は支配者層が民衆を支配する為に「法」を整備する必要性を説いた思想家です。

 

従わない民衆は「法」によって処刑されるので君主に逆らえなくなります。

 

そういう意味で、民衆が強い日本と君主が強い中国は全然、違った歴史を歩みます。

 

自由民権運動の板垣退助などの働きも大きいですが、吉田松陰のお陰で日本は民主主義の国になれたと言っても過言ではないと思います。

 

易姓革命は王朝が交替する方法として「禅譲」(ぜんじょう)と「放伐」(ほうばつ)の二つがあります。

 

前者は君主が地位を血縁者でない有徳の人物に譲る事で、大政奉還(たいせいほうかん)がこれに当たります。

 

「放伐」は地位を譲る事を拒否して武力によって討伐される事です。

 

吉田松陰がいなければ、日本は近代化する事もなく、西洋の植民地となって、世界の歴史も随分と変わっていたかもしれません。

 

「聡」(さとい)という言葉から「公」を抜くと「恥」(はじ)という言葉が残ります。

 

孔子は「恥を知るは勇に近し」と言い、孟子は「恥じる心のないものは人間ではない」とまで言いました。

 

孔孟の教えとは廉恥(れんち)の教えとも言えます。

 

この為に武士は「恥」を晒す事を一番嫌います。

 

自己の命に執着して、敵から逃げたり、社会に背を向ける行為です。

 

「公」(おおやけ)は「世間」(せけん)を意味し、「社会」を表します。

 

吉田松陰の意志を継ぎ、倒幕を目指した高杉晋作(たかすぎしんさく)が死の間際に「おもしろき こともなき世を おもしろく」と詠んだのですが、その先の言葉が浮かんできませんでした。

 

すると側にいた野村望東尼(のむらもとに)が「棲みなすものは 心なりけり」と続けて短歌が完成したと言われます。

 

面白くない世界を面白く変えるのは「心」次第というわけです。

 

明治維新という偉業は武士の「志」(こころざし)=「心」から生まれました。

 

詳しくは、文春文庫から出ている、司馬遼太郎の「世に棲む日日」(よにすむひび)を読んでいただけると分かります。

 

この「世に棲む日日」というタイトルは先程の高杉晋作と野村望東尼の合作の短歌から取られたもののようです。

 

最初は何て変なタイトルなのだろうと思いました。

 

何故なら作品の中に野村望東尼は3巻と4巻の最後の方にほんの数ページ登場するだけなので、野村望東尼をよく知らない私は、これがこの作品全体を表す短歌とは思えなかったからです。

 

野村望東尼は福岡藩士の三女として生まれ、尊王攘夷派(そんのうじょういは)と交流のあった馬場文英と知り合い、自分の山荘に勤王の志士(きんのうのしし)を度々、かくまったりしました。

 

この中に高杉晋作もいて、福岡藩が佐幕(さばく)になった事で孤島である姫島へ流罪となった時も、高杉晋作によって助け出された経緯があります。

 

つまり、高杉晋作ほどには知名度のない人物ですが、命を掛けて倒幕(とうばく)を助けた脇役と言え、明治維新はこういった無数の「人の和」=「心」によって完成したという事です。

 

高杉晋作が「心なりけり」という合作を聞いて「面白いのう」と言ってこの世を去ったのも、「心」を野村望東尼も共有しているという気持ちが伝わったからだと思います。

 

その7か月後に大政奉還が実現したとの報せを聞いて野村望東尼も後を追うように亡くなります。

 

この短歌も、明治維新も、合作でないと完全ではないという司馬遼太郎の想いがタイトルに籠められているものと思います。

 

「世に棲む日日」の「日日」(ひび)は、野村望東尼の学んだ禅の「日日是好日」(にちにちこれこうにち)の「全ての日」を表したかったんだと思います。

 

無駄な日などないという事です。

 

人類の歴史とは人々の「心」によって作られて来ました。

 

極端な話と思われる方も多いと思いますが、私は、もう少し、「公」というものを、みんなが考えていけば、さらに良い社会になると思います。

 

バスや、電車での話しになりますが、携帯電話の使用は、みんな、比較的に控えている様に思います。

 

それは、車内のアナウンスで、「携帯電話のご使用は、他のお客様のご迷惑になりますので、お控えください」と、繰り返し流しているからだと思います。

 

飲食や、化粧や、咳や、座り込みなどは、アナウンスで流れないので、何が善くて、何が悪いのかも、みんな、分からないのだと思います。

 

ちょっと、考えれば分かりそうですが、「公」という考えに馴染みがないことが原因なのでしょう。

 

人は教育されて成長するのだと私は思います。

 

昔は、親や教師が「公」を教えていましたが

 

今は、過保護に「自由」が優先されているようです。

 

お客様は神様だと考えて控えているのかもしれませんが、常識のない人も沢山います。

 

電車のアナウンスなどに限らず、テレビ、ラジオ、インターネットを通じて、もう少しマナーを提唱して「公」を広めてほしいものと思います。