良心のお話

人生とは競争である。

 

受験戦争も、就職も、恋愛も、スポーツも。

 

すべてライバルがいて、戦って勝たないと意味がない。

 

人間の世界だけではなく動物の世界も、そう。

 

弱肉強食で、負けたら食べられてしまう。

 

競争にもルールがある。

 

だけど、ルールを守って死んでしまっては意味がない。

 

人は、時として、ルールを破ってでも勝利を勝ち取ろうとする。

 

それは、生きたいという意志とよく似ています。

 

このエネルギーは、いったい、どこから来るのでしょうか?

 

 

私は、「欲望」がエネルギーの元だと思うのです。

 

「欲望」は、いろいろな形があります。

 

食べたい、寝たい、エッチしたいみたいな基本的なものから、人に認めてもらいたい、人よりいい暮らしをしたいみたいな、ちょっと複雑なものまで。

 

いろんな欲望があるけど、突き詰めていくと最終的にはどの欲望も生きる事が目的で、満たされていくごとに複雑なものになっていくように感じます。

 

 

話は変わりますが、人間には「欲望」とは正反対の感情を持っています。

 

「良心」です。

 

「良心」は、競争に適していません。

 

あなたが「欲望」に忠実に何かをしようとした時、それが、誰かにとってはとても不利益な事だったりすると、あなたの頭の中で、

 

「そんな事は、してはいけない!」

 

「やめときなはれ」

 

と声がします。

 

これは、よく、漫画なんかで「欲望」の声を「悪魔」が囁いて、「良心」の声を「天使」が囁くという、あれです。

 

 

この「良心」というのは「欲望」の邪魔ばかりします。

 

お腹がすいてパンを食べようとすると、「それは、人のものだから食べてはいけない!」みたいな感じです。

 

 

「良心」の言うことを聞いていると不利益を被ります。

 

不利益どころか、時には、死んでしまう事もあります。

 

「良心」が、命を犠牲にしてまで守ろうとするもの。

 

それは、他人の利益です。

 

何で、こんなものが人間にはあるのでしょう?

 

 

 

昔の人は、これを「神様の声」だと思いました。

 

神様を信じる人は「欲望」を禁止して、出来るだけ「神様の声」に従おうとします。

 

これが宗教の始まりです。

 

 

世界を大きく分けると二つに分かれます。

 

「欲望」に属するものと、「良心」に属するものです。

 

「欲望」に属するものは、政治、経済、法律などです。

 

競争して数字で表す事が可能で、勝ち負けがはっきりと分かるものです。

 

 

「良心」に俗するものは、道徳、芸術、思想などです。

 

比べることが出来ず、数字には出来ない十人十色の価値観が存在するものです。

 

 

「欲望」のチャンピオンは、「戦争」です。

 

国と国との競争で、自分の利益のために他人の利益を壊す弱肉強食の世界です。

 

「良心」のチャンピオンは、「宗教」です。

 

共産主義や資本主義などの主義主張も、一種の宗教です。

 

自分の利益を犠牲にしてでも目標を成し遂げる凄い力を持っています。

 

「良心」の宗教であるキリスト教と「欲望」の政治であるローマが結び付いて数々の宗教戦争が起こりました。

 

そして、その教訓からフランス革命によって信仰生活と政治活動は分離すべきであるという政教分離(せいきょうぶんり)の憲法が作られました。

 

「欲望」と「良心」は、決して一緒にしてはいけません。

 

歴史は、過去に何度か経験をしています。

 

もっとも、残酷で、もっとも終わりのない悲惨な悲劇が待っているのです。