孔子(こうし)という人がいます。
論語(ろんご)という書物が有名です。
彼は、人間社会の上下関係や、礼儀作法をいろいろと教えました。
私の知っている人で、孔子は、礼儀、礼儀とうるさく感じると言われた方もおりました。
たしかに、孔子の話は礼儀の話しが多いのは事実です。
だけど、私は、礼儀とは、強制されるものではなく、自分が気に掛けたいか、掛けたくないかの問題だと思います。
孔子の論語で、一番、重要な言葉があります。
「仁」(じん)です。
「仁」とは、人への思いやりの事です。
これを、実践したものが、礼儀です。
親孝行の「孝」(こう)という言葉も孔子の言葉ですが、これも、基本は「仁」で、それをお年寄りに実践したものが「孝」なのです。
孔子は、弟子達に言います。
上品な言葉使いで、贅沢な食事をご馳走したとしても、相手をもてなそうという気持ちが無ければ、「礼」があるとは言えないと。
反対に、言葉使いが悪く、粗末な食事でも、相手をもてなそうという気持ちが有れば、「礼」があると。
つまり、形よりも中身だという事です。
礼儀は、自分の為にあるのではなく、人の為にあるのだという事です。
だから、礼儀、礼儀とうるさいのではなく、人をもてなそうという気持ちがある人だけが、礼儀(マナー)を実践すればいいのです。
人から、上品に思われたいからとか、人前で恥をかきたくないからとか、そういう理由で礼儀を覚えようというのは、考え方の根本が間違っているのです。
「慇懃無礼」(いんぎんぶれい)という言葉があります。
言葉だけ丁寧で、人を見下している事をいいます。
この人には、「仁」がありません。
もっとも、礼儀がわかっていない人だという事です。
思いやりや真心(まごころ)が大切です。