東寺1

東寺にやって来ました。

東寺は、教王護国寺(きょうおうごこくじ)とも言い、平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えました。

こちらは、東寺の紋で、東寺雲と呼ばれ、極楽に庶民を導く雲とされています。

中央に大きな雲があり、その周りを七つの雲が取り囲んで、八つの雲になっています。

八雲(やぐも)というと、出雲の枕詞で、古事記に記載されている日本最古の和歌で、
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」を思い出します。

この歌は、ヤマタノオロチを退治して、櫛稲田姫(くしいなだひめ)を救い、姫を妻に得て、須賀の地に新婚の宮を建てたスサノオが詠んだ歌だとされています。

意味は、

雲が何重にも取り囲む出雲の八重垣の中で、妻は結婚のために物忌みをする。その八重垣を、これから作るのだ。その八重垣を」

というものです。

どうも、中央の雲は、櫛稲田姫のような歌です。

とりあえず、中に入ってみましょう。

五重塔の内部を公開しているようです。

ゴールデンウィークなので、混んでいます。

五重塔です。

まだ、ここからだと、遠い所にあります。

「小野道風ゆかりの柳」と書かれています。

八八花(はちはちはな)の花札の絵柄の人です。

小野道風(おののとうふう)は、平安時代前期、10世紀に活動した能書家で、和様書道の基礎を築いた人物です。

「書道の神」とまで言われました。

花札の「柳に小野道風」の絵柄が、こちらです。

カエルが柳に飛びつこうとしています。

道風は、自分の才能のなさに自己嫌悪に陥り、書道をやめようかと真剣に悩んでいた時期がありました。

雨の中、散歩に出掛けると、柳に飛びつこうと、カエルが何度も挑戦している姿を見つけます。


「蛙はバカだ。いくら飛んでも柳に飛びつけるわけないのに…」


すると、その時、偶然にも強い風が吹いて、柳がしなり、蛙は見事に柳に飛び移ることが出来ました。


これを見た道風は、「バカは自分だ。蛙は一生懸命努力をして、偶然を自分のものとしたのに、自分はそれほどの努力もしていない」と目が覚めるような思いがして、血が滲むほどの努力をするきっかけになったと言います。


努力する人にしか幸運は恵まれなくて、悪あがきに見えることも、やらないよりは、ずっと価値があるということでしょうね。

柳の近くに、カエルはいません。

代わりにカメがいました。

柳に飛びつく気は無いようです。

次に行きましょう。

毘沙門堂(びしゃもんどう)です。

ここの毘沙門天は、「兜跋毘沙門天」(とばつびしゃもんてん)と言い、頭に鳳凰(孔雀)の冠を被った珍しい毘沙門天(びしゃもんてん)です。

このお堂は、「兜跋毘沙門天」(国宝)を安置するために建てられましたが、現在、仏像は宝物館に収蔵されているそうです。

 

インドの古代先住民族が信仰していた富と財宝の神で、北方を守護するクベーラという神様がいました。

それを、ヒンドゥー教が取り入れて、ヴィシュヌという神様が生れました。

インドでは、難解で、哲学的な仏教より、たくさんの神様がいるヒンドゥー教の方が人気があり、特に、シヴァと、ヴィシュヌに人気が集まっていました。

ヴィシュヌを信仰する人達は、釈迦はヴィシュヌの10の偉大な化身(マハー・アヴァターラ)のうちの一つの姿だとして、仏教を取り込みました。

反対に、仏教の方では、ヴィシュヌを毘沙門天と呼んで、仏教を守護する神様にしました。

別名を、多聞天(たもんてん)とも言います。

インドで人気が高かったヴィシュヌが前身なだけに、仏教でも、毘沙門天には格別な地位が与えられました。

中央が、「兜跋毘沙門天」で、左右に「不動明王」と、「愛染明王」(あいぜんみょうおう)の額が掛けられています。

「兜跋毘沙門天」は、「孔雀明王」といったところでしょうか。

こちらは、「尊勝陀羅尼の碑 」(そんしょうだらにのひ)と呼ばれる石碑です。 

嘉永6年(1853)、比叡山の僧・願海によって北野天満宮の宗像社のそばに建てられたものだそうですが、慶応4年(1868)、神仏分離令によって、東寺のこの場所に移されたそうです。 

石碑に見える点々が、悟りや功徳(くどく)を説いた陀羅尼(だらに)です。 

意味が分らなくても、そのまま、読誦(どくじゅ)すると、罪障消滅や除災・延寿の功徳があると言われます。 

下の亀は、中国の想像上の動物である贔屓(ひいき)で、竜の子とされ、 重い物を背負うことを好み、甲羅に建つ石塔は永遠不滅と言われます。

大師堂(国宝)です。

御影堂(みえどう)とも呼ばれます。

もとは、弘法大師空海の住房であったと伝えられ、秘仏の不動明王像が祀られていました。

鎌倉時代になると、運慶の子の康勝が、弘法大師像(国宝)を造ったそうです。

私の大好きな司馬遼太郎氏が、御影堂を、このように書いていたそうです。

こちらは、食堂(じきどう)です。

明珍恒男作の十一面観音像を本尊としていますが、千手観音立像がもとの本尊でした。

現在、千手観音像は、宝物館に収蔵されています。

こちらは、宝物館です。

写真撮影は禁止でしたが、千手観音立像は、大きくて迫力がありました。

愛染明王像と、兜跋毘沙門天像も良かったです。

お土産がたくさん売っていたので、絵葉書を購入しました。

千手観音立像です。

こちらは、兜跋毘沙門天。

こちらは、今回、展示はされていなかったのですが、八部衆の迦楼羅天(かるらてん)のお面。

ガルーダという鳥の姿をした風の神様です。

ペルシアの最高神「阿修羅」の別の姿でもあります。

天狗の原型で、日本神話ではスサノオが、この神様です。


こちらは、白象に跨る帝釈天(たいしゃくてん)。

講堂の立体曼荼羅(りったいまんだら)にある仏像です。

古代インドの最高神インドラのことで、日本神話では、大物主命(おおものぬしのみこと)に当たります。

憤怒の形相の多い仏像の中で、涼しげな表情をしていて、それでいて巨大な象に乗っているという、ギャップがおもしろいです。

大威徳明王(だいいとくみょうおう)も迫力があって、絵葉書があれば欲しかったのですが、売っていなかったです。

さあ、次に行きましょう。

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