住吉大社1

南海電車の南海本線 住吉大社駅にある住吉大社に来ました。

駅から商店街を抜けると、車とちんちん電車が走っている道路を挟んで神社があります。

「真住吉し 住吉の国」と書かれています。

住吉大社は海の神様以外にも、万葉歌の神様としての信仰があった為、度々、万葉歌人の人達から住吉にまつわる歌が詠まれています。

駅には、駅周辺の地図と、住吉大社の境内の地図がありました。

駅の反対側には、住吉公園と呼ばれる公園があるようです。

花壇に鳥がいました。

一生懸命、土を突いています。

公園の外には、「高燈台」と呼ばれる灯台があります。

これは、鎌倉時代に建てられた高灯籠を復元したものらしく、江戸時代に入り海運が盛んになると、日本式の灯台である灯明台や常夜灯が、岬や港に近い神社の境内などに設置されるようになったそうです。

灯台は、船の安全を守る希望の光のようです。

それでは、住吉大社にお参りします。

御祭神は、

第一本宮は、「底筒男命」 (そこつつのをのみこと)
第二本宮は、「中筒男命」 (なかつつのをのみこと)
第三本宮は、「表筒男命」 (うはつつのをのみこと)
第四本宮は、神功皇后 (じんぐうこうごう)です。

第一から~第三までを、住吉三神と呼び、第四を加えることで、住吉四神になります。

「底」、「中」、「表」は、海底、海中、海上の海を表すそうです。

「筒男」は、いろいろな説がありますが、私は「竹」を表すのだと思います。

おそらく、武内宿禰(たけうちすくね)と同じニギハヤヒの団体を象徴しているのではないかと思います。

写真では分りにくいのですが、石灯籠の大きさが、今まで見たことがないくらい大きいものばかりで、迫力があります。

灯籠は、飛鳥時代に仏教と共に伝来したものです。

読んで字の如く、「灯」(火)の「籠」です。

丁度、神功皇后が住吉大神の神託を受け、朝鮮出兵をし、応神天皇を産んだ後に広まったものなので、住吉大社とは係わりが深いのかもしれません。

全国の各業者から奉納された境内の燈籠は、約600基あるそうです。

当時は、海上守護の祈願をこめて寄進したもので、広告塔としての意味合いが強く、大きさを競ったのかもしれません。

神功皇后の朝鮮出兵を決定づけた人物に、武内宿禰(たけうちすくね)という人がいます。

紀・巨勢・平群・葛城・蘇我氏など中央諸豪族の祖とされる人物です。

ヤマトタケルとは、武内宿禰のことで、ニギハヤヒノミコトと同じではないかと思ってしまいます。

神功皇后のご主人であった仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)は、ヤマトタケルの子供だと言われますが、武内宿禰と同じく実在性を疑問視されています。

おそらく、神功皇后は、イチキシマヒメ(宗像三神)のことで、天照大神(あまてらすおおかみ)を象徴していて、住吉大神は、ニギハヤヒ(実は住吉五神)のことで、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)を象徴するのではないかと思います。

天照大神と建速須佐之男命の「天の誓約」(あまのうけい)で五男三女の神が生まれたと言われます。

五男が住吉大神で、三女が宗像三神です。

「古事記」によると天の誓約は、天照大神が建速須佐之男命の持っている「十拳剣」(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から宗像三女神が生まれたとあります。

「十拳剣」は、スサノオがヤマタノオロチを退治した時の剣で、その際、ヤマタノオロチの尻尾の中にあった「草薙剣」(天村叢剣)に当たって欠け、現在、石上神社に納められています。

元々は、イザナギがカグツチを切った剣だとも言われ、別名を「天羽々斬」(あめのはばきり)と言うそうです。

ニギハヤヒの持っていた「天羽々矢」(あめのはばや)を斬る剣だという意味だろうと思います。

そして、建速須佐之男命が、天照大神の「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から五男神が生まれたとされます。

つまり、これが住吉大神ではないかと思うわけです。

最も、実存性が高い最古の天皇が、応神天皇だと言われているので、それ以前は、神話の可能性が高いように思います。

ニギハヤヒに付き従った神は、32神と言われ、5代の天皇に仕えたとされる武内宿禰は、一人の人物ではなく、これらの渡来人のグループだったのかもしれません。

話は変わりますが、この絵馬は、軍艦の加古(かこ)を描いたものです。

加古は、兵庫県を流れる加古川に因んで命名された日本海軍の巡洋艦です。

太平洋戦争の第一次ソロモン海戦(1942年8月)で活躍ましたが、その帰路、連合軍潜水艦の雷撃で沈没しました。

乗員34名が死亡しましたが、艦長の高橋雄次大佐を始めとする残りの乗組員は救助されました。

この絵馬は、その時の乗組員が、1986年(昭和61年)に、奉納したものだそうです。

目の前に太鼓橋があります。

その脇に狛犬があります。

その間に猫がいて、みんな携帯で写真をとっています。

コマネコと書かれた帽子を被っています。

この神社で飼われている猫のようです。

とりあえず、太鼓橋を渡りましょう。

こんなに反り返った急な太鼓橋は、初めてです。

落ちないように気をつけないと…

太鼓橋の上から見える左右の景色です。

この太鼓橋は、川端康成が、小説「反橋」で「上るよりもおりる方がこはいものです」と書いたことでも知られる急な橋だそうです。

向こうに鳥居が見えます。

さあ、先に進みましょう。

 

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